中世と縄文の史跡めぐり
私たちが住んでいる町の歴史を興味深く知ろうと思いませんか。現在過疎と言われている地域が、昔は鎌倉幕府へ影響を及ぼした程の港湾都市であったとしたら、少しは興味を抱いてくれるだろうか。そんな思いで今回「中世と縄文の史跡めぐり」を企画しました。
今からおよそ600年前、五所川原市十三湖一帯は、13世紀から15世紀前半にかけて豪族・安藤氏が支配し、大規模に整備された港湾施設や居城、宗教施設などを伴う大都市として栄えていました。安藤氏は鎌倉幕府執権の北条義時によって蝦夷沙汰代官に任命された在地豪族であり、自ら前九年の役で戦った安倍貞任の末裔を名乗り、室町時代には日之本将軍の称号をあたえられるほどでした。一方、かねてから北朝方についていた南部氏も幕府の威光によって陸奥の国司に任ぜられ、その勢力が増大していました。安藤氏の内乱に乗じて、幕府は南朝方の安藤氏を倒すことによって南朝方全体を徐々に弱体化させようとしていたため、南部氏に命じて、安藤氏を徹底的に討伐しようと大がかりな兵を起こし、これにより安藤氏はこの地を追われ、十三湊は衰退することになります。
今回の中世を巡るツアーでは、安藤氏が庇護したであろう山王坊日吉神社と、市浦民族資料館で当時十三湊を中心に栄えた安藤氏を学ぶというものです。
午後は、2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北縄文遺跡群」の構成資産の一つ亀ヶ岡遺跡について学びます。遮光器土偶の発見で一躍有名になった亀ヶ岡遺跡。縄文晩期の集落の様子や、土坑や当時の精神文化について現地ガイドさんが懇切丁寧に説明してくれます。また、最後につがる市森田の石神遺跡から出土された板状土偶や円筒土器が展示されている森田歴史民俗資料館で出土品について説明を受けます。ここの館長は自ら土器を制作するなど、とても縄文文化に熱意をもった方です。つがる市で発見されている遺跡から、縄文前期から縄文後期に渡り、縄文集落が形成されていたことがわかっており、長きに渡りこの地に定住し、縄文時代の人々の知恵を伺うことができます。
わくわくツアー「縄文と土器づくり体験」
わくわくツアーもいよいよ大詰めを迎え、残り7回となりました。
今日は若い女性の方々が「縄文と土器作り体験」に参加してくれました。このコースは、亀ヶ岡遺跡や亀ヶ岡考古資料館の他、森田石神遺跡の出土品を展示している森田民族資料館を見学します。そして昼食は津軽金山焼で本格的ピザ窯で焼いたアツアツのピザを食べます。
親子で参加したお嬢ちゃんも、何種類かのピザを選んで食べれるので、迷いに迷って
決めたのがチーズとはちみつのハーモニー「ビアンカ・ハニー」。
焼きたてパリパリ感に、ほのかな甘味がとてもマッチし、とても美味しかったそうです。
ソフトクリームにコーヒー豆の粉をまぶして食べるのも金山焼の特徴で人参スープもとてもおしゃれです。
館内には所狭しと並べられている陶器を眺めているだけで目を楽しませ、さらに大きな登り窯は見る人を驚かせます。観て、食べて、作るの 3拍子揃った日帰り企画「縄文と土器作り体験」の醍醐味です。
土器作り体験をした後で、ツアー参加者の男性に聞いたところ、時代は違えど土器作りをする縄文人へ思いを馳せて作陶して見ましたと言葉が返ってきました。その方は小物入れを作ったそうで、どこか懐かしい 小学生の頃の夏休みの課題をしているようで、とても楽しかったと嬉しそうに話してくれました。
さて、津軽金山焼から車で南東(前田野目地区)へ10分程走ると、国史跡に指定されている五所川原須恵器窯跡があります。平安時代中頃9世紀末から10世紀後半にかけて須恵器の一大生産地だったらしく、県内全域や北海道各地、秋田や岩手の北部にまで須恵器が供給されていたようです。10世紀後半を過ぎると生産は徐々に途絶えてしまいますが、貴重な文化遺産として今もその形跡が残っています。その須恵器文化を蘇させた方が津軽金山焼の窯元松宮氏です。
登り窯を自分で作り、須恵器に拘った松宮氏は、まさに中世の焼き物精神を受け継いでいます。このツアーで縄文時代と土器作りの関係性を少しでも理解できれば素晴らしい事です。