お問い合わせ 0173-26-2277

メールアドレス t-kankou@theia.ocn.ne.jp

世界文化遺産 - 構成資産亀ヶ岡遺跡

縄文住居展示資料館

世界文化遺産構成資産

亀ヶ岡石器時代遺跡

亀ヶ岡石器時代遺跡は、つがる市にある縄文時代晩期の集落遺跡で、遮光器土偶が
出土した遺跡として全国的に有名です。1944年6月には国史跡に指定され、2021年7月には「北海道北東北の縄文遺跡群」として、世界文化遺産登録の構成資産にもなっています。

遺跡の特徴としては、精緻で幾何学的な模様の土器が特徴で、また遺跡には定住成熟期後半の大規模な共同墓地が見つかり、高い精神文化と共に、内湾地域の汽水域における生業及び高い精神性による祭祀・儀礼の在り方を示す貴重な遺跡となっています。

 亀ヶ岡遺跡の発見は元和8年(1622年)に当時この地を治めていた津軽藩主の津軽信枚(のぶひら)が、亀ヶ岡城を築こうとした際に土偶や土器が発見され、江戸時代にここから出土した土器などは「亀ヶ岡物」と呼ばれ、遠くはオランダ迄売られた物もあるそうです。
出土品は、木造亀ヶ岡考古資料室や、縄文住居展示資料館カルコで見学できます。

遮光器土偶モニュメント
田子屋野貝塚

世界文化遺産の構成資産

田子屋野貝塚

田小屋野貝塚がある丘陵は、亀ヶ岡石器時代遺跡に近く、縄文時代の海面上昇期に形成された内湾の古十三湖(こじゅうさんこ)に面し、漁労、貝の採取に適した地で、その背後には落葉広葉樹の森が広がっていました。縄文時代前・中期の遺跡で、貝塚は太平洋側に多く、田小屋野貝塚は日本海側の数少ない貝塚のひとつで、当時のムラの形と暮らしの様子が分かる貴重な遺跡です。

貝塚からは汽水域に棲息するヤマトシジミ、イシガイなどの貝類、コイ、サバなどの魚の骨、ガン、カモ類などの鳥骨が出土しており、祭祀・儀礼の場でもあった捨て場からは石器、土器片、鯨類の骨で作った骨角器が出土し、縄文時代前期の土坑墓からは出産歴のある女性の埋葬人骨が発見されています。国内の土壌は火山によって生まれた酸性土壌が中心となるため、人骨が残るのは稀で、土坑墓の上にヤマトシジミの貝殻が捨てられ、貝のアルカリ成分により土壌が中和され、人骨が溶けずに残されたと言われています。腰からお尻の部分の骨の特徴から、成年女性の人骨だと判明しています。
出土品は縄文住居展示資料館カルコで見学できます。

出土した土器・石器等の一部が国重要文化財

石神遺跡

石神遺跡は岩木山北麓の狄ヶ館溜池内に突出した台地上に所在し、遺跡からは、円筒土器が編年体系どおりに層序正しく発見され、ひとつの遺跡に縄文前期から中期に至る円筒土器の全型式が揃う貴重な円筒土器文化の代表的遺跡です。

出土した土器・石器等のうち219点は平成2年6月に国重要文化財に指定されています。出土品からは人の板状土器や、有名なものに、人面付深鉢形土器があり、上部の4つの突起部分に人面を模した飾りがある特異な土器として話題を呼んでいます。これらの出土品は、つがる市森田歴史民族資料館で見学できます。

石神遺跡

遺跡出土品

遮光器土偶の他籃胎漆器や漆塗り土器など個性的で精巧卓越した芸術性の高いものがたくさん出土しています。

亀ヶ岡遺跡土坑墓
01

土坑墓

亀ヶ岡遺跡からは土坑墓が発見され、縄文時代の生活を伺うことができます。

遮光器土偶
02

遮光器土偶

この土偶は眼鏡をかけているような目に特徴があり、「遮光器土偶」と呼ばれています。

板状土偶
03

板状土偶

人をモチーフにした様々な顔の表情が伺い知ることができます。

漆塗り土器
04

漆塗り土器

色鮮やかな朱色に塗られた土器が多数発見されています。

土器
05

土器

現代の急須に似た芸術性の高い土器が出土しています。

縄文Q&A

縄文の豆知識

  • つがる市で出土した土器等はどこで見学できるの?
    • つがる市の代表的な遺跡は、亀ヶ岡石器時代遺跡、田小屋野貝塚、石神遺跡で、それらの出土品は下記の資料館で見学できます。
      ①木造亀ヶ岡考古資料室   電話0173-45-3450
      ②縄文住居展示資料館カルコ 電話0173-42-6490
      ③森田歴史民俗資料館    電話0173-26-2201

  • つがる市で発掘された遺跡の特徴は?
    • <亀ヶ岡石器時代遺跡> 台地上には土坑墓の墓域が広がり、土器などの供献品や玉などの副葬品が出土しており、祖先崇拝が継続して行われていたようです。また、台地周囲の低湿地には祭祀場として捨て場が形成され、多数の技術的に優れた漆塗りの土器や漆器、土偶、ヒスイ製の玉類が出土している
       岩木川左岸に立地する日本海側では数少ない縄文前期の貝塚を伴う集落遺跡で、クジラなど大型哺乳類の骨で作った骨角器や人骨が発見されています。ベンケイガイの貝輪が多数出土したことから、貝輪の製作が行われていたことが明らかになり、環境や生業、生産活動を知る上でとても重要な遺跡です。
       縄文前期から中期にかけての円筒土器の形式が全て出揃っていて、ひとつの遺跡で円筒土器文化の移り変わりを知ることができます。出土した219点は国の重要文化財にしていされています。

  • 遮光器土偶はなぜ片足がないの?
    • 遮光土偶の多くは東北各地で出土され、腕や足などが欠けたものや全く欠損していないものも発見されています。欠けた遮光土偶については様々な説があります。病気や怪我をした人が平癒を祈る為、身代わりのつもりで土偶の一部を壊し、回復を祈ったという説、また土偶の多くは女性特有の特徴があることから子供を産む女性を生産やシンボルとしてその土偶を祀ったのではという説、亡くなった方の再生を祈ってつくられたものとか、墓などの周辺から多く出土していることから信仰対象を模ったものとか、使用法は多岐に渡っています。

  • 縄文時代が1万年以上も続いた訳とは?
    • 最近では1万6千年前から3千年位まで、約1万3千年続いたとされる縄文時代。一つの時代がこれほど長く続いたことは世界でも類がなく、今世界中から注目されています。縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に分けられ、それぞれの時期によって気候も生活も変化してきたようです。縄文時代が1万年以上続いた背景に、遺跡から発見される縄文人の骨には、人と争った形跡がほとんどなく、そこには身分制度がなく人々が自然と永続的に共存しながら生活を送り、優れた社会性が構築されていたようです。また、独立した大陸が形成されたことや、気候などの自然条件、生活に必要な衣食住の環境整備、持続可能な社会に必要な知恵などが複合的に作用されたからと言われています。

遮光器土偶の秘密